代表者からのメッセージ

SAKAI Keiko  2010~11年、アラブ諸国でいっせいに民衆が、特に若者が路上に飛び出して反政府批判を繰り広げた「アラブの春」は、衝撃的な事件でした。
 数十年も続いた権威主義体制が内側から崩れたことも驚きでしたが、なにより強烈な印象を残したのは、彼らの運動が単純なスローガンや落書き、シンボルマークや音楽やパフォーマンスなどを多用しながら広がっていったことです。
 たかがトム・ロビンソン・バンドのアルバムジャケットじゃないかと思っていた、拳を突き上げるロゴマークは、チュニジア、エジプトからリビア、バハレーンに至るすべての「アラブの春」で共有され、連帯の象徴になったばかりか、元を辿ればセルビアの反ミロシェビッチ運動「オトポル!」のシンボルマークでもありました。デモ隊が行くところ行くところ、数々の落書きが残され、抵抗の意思表示となりましたが、そこからは芸術的傑作もまた多く生まれました。「アラブの春」式の路上抵抗運動は、ニューヨークの「オキュパイ」運動や香港の雨傘運動にも引き継がれ、まさに「ピープル・ハヴ・パワー」なムードが世界を覆ったのです。
 こうした情景を見て、「シンボルの政治的役割を研究する学問はどこにいったのか」と首を傾げた政治学者は、少なくなかったに違いありません。20世紀前半には哲学者のエルンスト・カッシーラーが、1950~60年代にはマーレー・エーデルマンやデービッド・シアーズなどといった政治心理学者による象徴分析が、盛んでした。しかしその後、合理的選択アプローチの興隆のなかで、すっかり影が薄くなってしまいました。1966年に当時の若き資源動員論の旗手、マイヤー・ゾルドがSociological Quarterly誌で、一回り年長のマーレー・エーデルマンの古典的著作『政治の象徴作用』に対して批判的書評を記したことは、まさに世代交替だったのかもしれません。
 象徴分析だけではありません。「感情」や「心理」といった、合理的説明と証明のできない要素を取り上げることは「科学的ではない」という、死刑宣告のような批判が繰り返しなされてきました。
 その「感情」を真面目に考えよう、という動きが政治学者の間で高まってきたのは、9.11同時多発テロ事件に始まる21世紀の紛争の激発、そして「アラブの春」などの出現に起因しています。南・東南アジアでの大規模な津波被害も同様でしょう。戦争や災害で痛みを被った人々が抱く「トラウマ」や「犠牲者意識」、「憎しみ」は、政治的に大きな動力になります。「イスラーム国」が若者を引き付ける背景には、そうしたことも関わっています。
 「感情を取り戻す」試みは、International Theory誌が2014年、「感情と世界政治」という特集を組んだほど、いまや国際社会にとって重要なテーマとなりました。紛争研究にも、「憎しみの政治」「トラウマの政治」を正面から論ずる研究が増えています。
 計画研究B01は、そうした「感情」をどう社会科学のなかで扱うか、に力点を置きます。アイデンティティや尊厳、歴史認識などの感情が、身体性や言語・映像、ソーシャルメディアなど、どのような入れ物によって運ばれるか、その内容と運ばれ方の違いは政治や経済、社会への関わり方にどのような変化をもたらすのか、さまざまな角度から分析していきます。

酒井啓子(さかいけいこ) 計画研究B01代表者